tanisanの 昭和の想い出

 


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 昭和の歌 tanisanの”想い出のメロディー”       
 
tanisanが過ごした、昭和20年代〜40年代、まさに少年時代〜青年時代に世の中に流れていた歌です。
演歌、New Music,歌謡曲、青春歌謡、民謡、ムード歌謡、どれもこれも懐かしい想い出のメロディーです。
当時の歌を聴くと、その時の状況までもが浮かんできます。初恋の時に聴いた曲、フラれた時に聞いた曲、
若かりし日の想い出が甦って来ます。
暇に任せu−tubeからダウンロードして、350曲を超えてしまいました。
その題名をリストアップしましたので、気になる曲があったらu−tubeで探索して聞いてみてください。
タイトルをクリックしてください。350曲のリストが表示されます。

下のレコードの表紙をクリックすると夫々の歌手の音楽が流れます。
音量、ストップ等の操作は画面上のメディアプレーヤーの小窓で行ってください。
 



 2   tanisanが過ごした昭和の時代
 
街頭テレビ(昭和20年代中頃)

tanisanも子供のころ近くの公園まで街頭テレビを見に行きました。
なんといっても、力道山の空手チョップは大人気。




tanisanの家でもお袋がタライで洗濯をしていました。
今にして思えば、大変な労働です。



冷蔵庫は、木製の表面に銅の薄板を張り付けて、上部に氷を入れて
下部に野菜や果物を入れていました。保存時間は氷が解けるまで、せいぜい1日です。
毎朝氷屋さんが1貫目、2貫目と上の製氷室に氷を入れて売りに来ていました。


しばらくして
三種の神器が登場(1950年代後半 昭和25〜30年)


   冷蔵庫   テレビ(白黒)  洗濯機

tanisanの家にテレビが登場したのは昭和30年代の最初のころだったと
記憶しています。NHKの”ひょこりひょうたん島”に夢中。

電気冷蔵庫で、小さな四角い氷が出来るのに子供心に随分感動したものです。

洗濯機の脱水はスポンジローラーで上下の間に洗濯物を通しながらローラーを回すのが、とても大変だったのを覚えています。


この後、日本は所得倍増計画、高度経済成長の波に乗り、人々の生活は飛躍的に
良くなっていきました。




新3種の神器(1960年代半 いざなぎ景気 昭和35年頃)
  
   自動車(Car)        クーラー(C)     カラーテレビ(C)

昭和34年(1959年)天皇陛下と美智子妃殿下の結婚式をカラーテレビで見ようと
カラーテレビが飛躍的に売れました。
その後昭和39年(1964年)東京オリンピックでは、ほとんどの家庭にカラーテレビが入るようになりました。
tanisanはこの時高校3年生、おりしも舟木一夫の”高校3年生”が日本中大ヒットした年でした。

その後、IT商品の走りが登場
答え一発 カシオの電卓(1973年発売)は、爆発的に売れました。





その後ワープロ機自動車電話そしてパソコンへと昭和から平成へと時代は移っていきます。

平成に入るとIT機器が一気に花開き、一人1台のパソコン時代インターネット、
携帯電話
、そしてスマホへと、世の中は大きく変化してゆきます。



tanisanが生まれた昭和21年(1946年)から、今日までの時代を、こうして振り返ってみると、
とてつもなく激しい変化の時代でした。

敗戦の混乱から安定へと人々が賢明に模索した時代でもありました。
社会も、政治も、経済も、技術も、文化も、ひしめき合いながら豊かさを求めて駆け抜けててきた
ように思います。
まさに、この時代を生き抜いてきた団塊の世代の人々は、tanisanも含め老後を迎えようとしています。

そして今、また平成から、新しい年号に変わろうとしています。
昭和の時代は、遠い昔になっていきます。
この昭和の時代を歩いてきた一人一人の心の中には、喜びも悲しみも、間違いなく、あの時代の想い出がいっぱい詰まっています。

楽しかった〜〜〜!!